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韓日関係進展に意欲、日本大使と面会の李明博氏
12月20日17時44分配信 YONHAP NEWS
【ソウル20日聯合】次期大統領に当選した李明博(イ・ミョンバク)氏は20日、当選を祝うためハンナラ党本部を訪れた重家俊範・駐韓日本大使に会い、韓日関係について「両国だけでなく北東アジアのためにも、より進展させなければならない」との考えを示すとともに、両国がさまざまな分野で協力関係を維持するに当たり役割を果たしてほしいと要請した。
李氏は、韓国経済はやや難局にあるとした上で、日本の首相が変わり、韓国政府も政権交代することで、両国が積極性を持って協力すべきだと強調し、韓国への投資に日本が関心を持ってくれればと呼びかけた。また、対北朝鮮政策に対する協力関係の強化を望む重家大使に、「北朝鮮問題も互いによく協力し、6カ国協議を成功させ、よく進展させるべき」との考えを示した。
福田康夫首相の書面による祝賀メッセージを伝達した重家大使は、「韓国は日本にとって基本的価値を共有する国であり、友好協力関係を一層強化したい。そのために新たな時代を開いていく考えだ」と述べた。北朝鮮に対する政策、政治、経済、文化分野における協力は両国にとって利益となると指摘した。また政治、経済分野で幅広く協力関係を強化するとしたほか、経済分野では産業協力関係を重要視して活用すべきだとの考えを示した。
最終更新:12月20日17時44分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071220-00000036-yonh-kr
2007/12/20 16:17:14
尹奉吉の75周忌追悼式典、ソウルで開催
1932年4月29日、上海の虹口公園で開かれていた、天皇誕生日と上海事変での日本軍の勝利を祝う式典の最中に、白川義則大将ら日本軍幹部を死傷させた尹奉吉(ユン・ボンギル)=1908‐32=の75周忌にあたり、ソウル市竜山区の孝昌公園にある尹奉吉の墓前で19日午前11時から追悼式典が行われた。
「尹奉吉義士記念事業会」(会長:李明博〈イ・ミョンバク〉次期大統領)の主催で行われたこの日の追悼式典には、国家報勲処(国家功労者に対する援護・褒賞活動などを担当する省庁)の金井復(キム・ジョンボク)長官、光復会の金国柱(キム・グクチュ)会長、白凡記念事業会のキム・シン会長、白凡学術院のシン・ヨンハ院長など、関連団体関係者約600人が出席し、追悼の辞に続いて献花、焼香、弔砲、黙祷が行われた。
光復会の金国柱会長は追悼の辞で「上海での義挙は、わが民族の独立を求める強い願いと、韓国男児の気概を見せ付けた快挙だった。国家と民族のために犠牲になるということを意識せずに義挙を行った尹義士の高貴な心は、100年経とうと1000年経とうと、われわれの心の中に残り続けるだろう」と述べた。
忠清南道礼山郡で生まれた尹奉吉は、1919年に3・1運動が起こるや、日本による植民地教育を拒否し、私塾の烏致書塾で漢学を学び、28年には復興夜学院を設立、農民の子弟に対する教育を施した。29年には「月進会」を結成し、農民の団結や民族精神、愛国心の高揚などを中心とした農村運動に貢献した。その後中国に渡り、32年4月29日、上海の虹口公園で開かれていた、天皇誕生日と上海事変での日本軍の勝利を祝う式典の最中に爆弾を投げ、白川義則大将ら日本軍幹部を死傷させた。
張一鉉(チャン・イルヒョン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20071220000065
上海のホンコウ(虹口)公園で行なわれた日本軍戦勝祝賀記念式場で日本軍首脳部を爆死させた 梅軒ユン・ポンギル(尹奉吉。1908~1932)義士75周忌追慕式が19日午前ソウルの孝昌(ヒョチャン) 公園のユン義士墓前で行なわれた。
尹奉吉義士記念事業会(会長イ・ミョンバク(李明博))主管で行なわれた追慕式はキム・ジョンボク 国家報勲処長、キム・クッジュ光復会長など独立運動団体代表と光復会員など500人余りが参加する 中で追慕辞、献花、焚香の順に進められた。
ハンナラ党大統領選挙候補であるイ・ミョンバク記念事業会長は追慕辞を通じて「いま大韓民国は 内外で厳しい挑戦に直面している」「義士さまを初めとする愛国先烈たちが祖国のために殺身成仁なされた意味を受け継いで、私どもも自身を前に出すよりは大義のために努力して献身することを誓います」と話した。
イ会長は「先烈たちの高く大きな教えが決して無駄にならないように富強で誇らしい祖国を作るのに 渾身の力を尽くします」と強調した。
キム・ジョンボク報勲処長は「ユン義士の救国精神と国や民族のために激しく生きた尊い生は子孫 たちが難しい時ごとに前途を導いてくれる精神的指標になる」と追慕した。
忠南礼山(チュンナム イェサン)で生まれたユン義士は1919年に3・1運動が起きるや日帝の殖民 教育を拒否して私設書堂である烏致書塾で漢学を学び、1928年には富興夜学院を設立して農民の 子供たちを教育した。
1929年には月進会を組織して農民の団結と民族精神の培養、愛国思想の鼓吹などを通じて農村 運動に献身して、中国に渡って1932年ホンコウ公園で行なわれた日本軍の上海占領慶祝式場に 爆弾を投げて日本の首脳部を爆死させた。
ユン義士は挙時直後現場で日帝軍警に逮捕されて、残酷な拷問と取り調べを受けて軍法会議に 引き渡され死刑宣告を受けた後、日本の大阪刑務所に移されて服役する中で殉国した。
政府はユン義士の功績を称えて1962年に建国勲章大韓民国章を追叙した。
▲聯合ニュース(韓国語) 2007/12/19 12:42
윤봉길 의사 75주기 추모식 개최
尹奉吉義士75周忌追慕式開催
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2007/12/19/0704000000AKR20071219058800043.HTML
李明博って大統領選投票日の忙しいときにこんなことしてたんですね。
日本大使に日韓関係を進展させようとか言った前の日には、ちゃっかり反日演説をしてたんですね。
下劣なチョーセン人にはだまされませんよ!!!
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